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少彦名=イザナミにみる大白玉パラダイス。

大谷崎=高杉晋作=8代吉宗=光明皇后=持統天皇=推古天皇は, 日本の白玉のイザナミをあらわしてはいるけれど,それは少彦名。 少彦名=イザナミにみる大白玉パラダイス。性愛や,龍神の玉の あの,燕尾服の似合う初老の紳士において,きっと吉宗公にも, 随分と紳士服はお似合いであったろう,と思うのだ。女帝,と 言っては,確かにそうだろうけれども,このツールを以て,その ルーツを道具として捜って行けば。イザナミとゆう発想の女神は 原初の地球にあって,国土そのものであった,その大地母神に, イザナギとゆう浅葱色のUFO来訪者によって,開拓されていく パイオニアのあの客神の,男性性とは来訪者で,
一方,スペシャルティなオリジナルの女性性は,
人格とゆうより,もっと大地と親和した, そうゆう母性な地球そのものなのだった。
なぜだか,一体となる,そんな気のする,
少彦名=イザナミにみる大白玉パラダイス。また, その一体化する大地母神の文学ツールなのだった。
そうやって,この大谷崎の全集や,朗読ファイルなどを,
電子書籍版に,そうして,デジタルストリーミングなどに,試みて。
その,太古より女性性のオリジナルなのだった。このツールを使って
情報を旅すれば,文学における,グルメや,性愛の発想,そうして,
犠牲や,歓喜などの循環は,多分のことを以て,喜捨しきった所に,
還元されるといった,そのイザナミ・大地母神は,そんな枯山水に
海外からのサビの論理を吹聴されるような,ほんとうに侘びた風潮を
個々の所に蒸かしてくれる,まるで饅頭にはセイロを必要とする昔の
茶屋のあたりに聴こえる,女性たちの甲高い声のように。

ミシンのカタコト辛い音の連続は,ようやく落ち着いて,この晩は
そういった,谷崎の文学などを捜る気配の,静かな灯油ストーブの
音もない,電気を必要としないストーブのそういった無音の熱源の
喜捨することのなかに,日々の繰返しは多分支えられて存在してる。
廻り巡ってそういったことを感じながら,大谷崎に至るときには,
少彦名=イザナミにみる大白玉パラダイス。サドよりマゾッホに,
ずっと親いこの文人のグルメによる茹で卵の笑顔を眺め入った時には
大谷崎=高杉晋作=8代吉宗=光明皇后=持統天皇=推古天皇は,
日本の白玉のイザナミをあらわしてはいるけれど,それは少彦名。
この発想はやがて,遣って来たのだっ…
最近の投稿

バツの悪い中学生のような気持ちと,高校生の知性を。

ぼくの好きな歌手のひとは,町中をあるいて,返って一瞬で 描き上げる瞬間を,歌詞や作曲に転用昇華してクリエイトされる ようなのだけれど,そんな瞬間は,どうなのか本当に幸せだろう。 頭の上より電気の蚊は飛立ち,肝臓の疲れは丹田を開くことで治る。 この,睡眠時に放つ,昼間の教訓を,学習塾より帰る子供の気持ちで 米麹のような香りを浮き立たせる夕暮れの路上には,夢の中の幻燈。 バツの悪い中学生のような気持ちと,高校生の知性を。その夢の中で 再現するように,再現性の高い,学び取った高次元の,処世訓として。 身に着いた,夜の間の,蟲のような脱皮と,酔い覚めのように肝臓は しっかり,湯舟に浸かって,ヘア・トニックも付けて,歯ブラシ河馬さんの ようにゴシゴシしたらば,そうやって,身に着いた,バツの悪い中学生の ような気持ちと,高校生の知性を。再現性の高い,高次の処世訓に換えて。 ハワイアンのポチキを夜食につまんで,ブルー・チーズを間に挟むのだ。 その前に,豆乳オーレを頂いて,もっと軽い,クリーミーなチーズも。 そうやって原点を探れば,金つばを食前にたべたい欲求はかなわず,兎に角。 お茶をぐびっと呑み込んでは,ミカンをひとつまみして頂いて,待ってた。 コンニャクをラーメンのようにして,おでんのつゆなどで頂く夜の, どんなにか,幸いなことだろう?バツの悪い中学生のような気持ちと,高校生の知性を。
奥さんは,マスクを沢山つくっていた。口につけるマスクである。ミシンを,
誕生祝いに買っていたのだ。そう,ぼくは今まで,手つむぎ等を趣味として豪語。
していた代わりに,やっぱり彼女のミシンに躍起になった。率先して,小学生ぶりに
上糸,下糸の準備をして,きっちり縫い方まで調べ上げた。そうやって,合い間に
ジーンズを2本,コール天を1本,裾上げや,マタ下の補強など素晴らしく熱中し,
なんだか,冬の手前にクリスマス・ギフトを早くも頂戴した気分で,本当に良かった。
『お茶です』それが,お茶々です,に変わり,いつのまにか「お茶々おす」と言って
言葉遊びに興ずるようになって,『お茶々牡,お茶々牝。』とゆう造語にまで至った時
ああ,ヒトは,ふと,立ち止まって空を見上げて,そのまま直立歩行したのだ。など
あまり見上げる事のなかった青空の中に,何か虚空の,寂しさとも付かないあの空虚な
ブランクを眺め入った時には…

幸せを煎じると,桐の葉スギナどくだみの味。

燦々と照りかがやく,落葉前の木の葉たちは,またもう, 飛翔する西洋の天使たちにも似て,にこやかに晴れ晴れとした 笑顔で,この天上の楽園にも見まがう秋日の午後を彩って。 奥さんの誕生日が,もう親いのだった。大掃除をはじめて, 毎年のウツワを贈ろうとゆう想いはすこし陰を潜めて,なので チーズを,どれがいい?と訊いて,地元の加工品のそれを択び, 薄めの豆乳オーレと共に,前夜祭を祝うことにしたのだった。 ほんとうにグルメ・レポートみたいになるけれど,高級品と一口に 言ってみては,信じられない程デイリーのモノとはちがうのだな。 そうやって,地元の加工業者さんの食品などを口にすると,それは やっぱりクラフトの想いで造られているのだから,香り,透明さ, この澄んだ部分に関しては,やはりモノづくりに関する作品には 敵うものはいないのだ,と気づいた。そうして,いまは,祖父母の お家より借りている,ホーローの古い鍋を,昨夜ミルフィーユ鍋と ゆう,白菜と豚肉を交互に挟んで敷き詰める,無加水の(直前に焼酎 を,ひとかけするのだけれど)蒸し鍋のような調理で大分底を焦がして しまったのを,重曹でコトコトしながら,奥さんの帰りを待っている。
誕生日には,秋の日の情景を描いた,絵本にすることにしたのだった。 いつも,もうそれは中学生の頃より通っている古書店があって,大手の 文庫本などもシリーズでずっと揃えられているようなところだから,本当に 参考になって,この間は久しぶりにゲオルゲの詩集を購って帰ったばかり。 その時分に既に目を付けていたモノだったのだけれど,ずっと人にオススメを しておいて,僕自身は持っていなかったその秋の日の絵本は,気にかかって, そうだ,これを誕生日のお祝いにするのはどうだろう?オススメする自分のその 気概は,きっと,こうゆう時のために取ってあったのだった。思い込んでは, 自分で趣味にしている写真の水彩加工などで,得意のラッピングを試みては よしよし,と。この日には九州に旅行にゆく事にはなっていたのだけれど,ひょんな 不幸よりちょっと,中止にしたところで,お花代に,と母より預かった費用を使い, 食事に出かけることにして。まだ,時間はあるので,ラッピングを開いてもらって コーヒーでも呑んでから,すこしカッパを着て外出するような体裁で,今日は雨。 九州,と,ラッピングには青い…

三島文学におけるニニギとジングウの関わりにつき。

三島文学におけるニニギとジングウの関わりについて,その 両者の,ニニギとジングウの異性同士の神々の天孫と八幡神の つながる所に,甘酒より酵母を採ることと,お米を炊いて頂くことの その両面性のつながるような気のして,抑圧の残酷に響く時も, それの獅子と舞うような心地。また,女神のスピリチュアリティと, 咳込む男神の綿帽子に,無論,秋の木陰にもう舞い散ってしまう紅葉の ダンスさえも,そのように,むろんの事。それは残酷な抑圧ではなし, トビナガスネヒコ=大黒=タケミナカタ,ニニギ=神功=タケミカヅチの, そういった,縄文と弥生の入れ替わりのあったとしても,果たしての 自分のジャーマンポテトとバゲット・サンドの対比を好き嫌いしてみたって, 濃いブラック・コーヒーはフランスパンには合うものだし,ビターなチョコも リンゴのシードルなどの酸味も欲しくなるところ。まだ,酸味の必要な時期に でも,いくらそれだって,にゅうめんにはカツオ出汁だしビネガーは入れない。 決して,そうめんにも,暑いからと言って,オイスター・ソースのつゆは,あまり ススまないので,和食を冬に,中華を夏に食べるにあたって,季節自体は入れ替わる ことは,ないのだから。時代性として,ポスト・天孫降臨などは起こりそうもない。
キッチンの照明を換えてもらった節,知り合いの電器屋さんから,父と同い年と伺って 驚いた折には『私も,入換え時で,車も,この間あと先あまり要らないのに替えました』
と聴いて,ああ,そうか。IH調理器も見てもらって,ガスに替える話をしていた矢先 前回のその話題を踏んで,よもやま話をして下さったのだなあ,紅葉の季節に実に風情の あって,落ち葉も,そのように電器を換えて行くさまにも似て,季節と入れ替わり移る。 家の奥さんの,朝の出勤時に,目の前で接触事故をした折などは,正直ぼくの方の動揺は あまりに動転して激しく,それで,奥さんは冷静だったらしい。昼にもなって,ようやく 電器屋さんに渡し余った珈琲缶などを啜って一息つく心地。その車で先週よりの,旅行を 予定していたあげく,天孫降臨の名所旧跡めぐり観光を考えていたものの中止になって, なぜかぼくの方は,ホッとしている。不可思議なくらいホッとしている。それはたぶんの 小難に切り替わったように,無意識は安堵しているのだろう。ガスに替えるようにして, 祖父母か…

桐の葉と,鳥獣戯画と,八束の剣と。

気づいたら,安吾の地粉のような練り方と,三島文学の諧謔に, 独特の美学とを合わせたような感じで,堀ロマネスクの蕩尽と, 川端ホムダワケの浄霊効果の上には,芥川氏の論理性の教育の, 漱石山人の桐の葉と,鳥獣戯画と,八束の剣と。大谷崎には, またもイザナミの刻印を授かって,さあ。太宰のその中立中和, 親和調和のみごとな無頓着さを,さあ。中心軸に添えられたら, 酢豚のような酸味には,パイン・フルーツのトロピカル郷土の 山岳料理などを嗜めて,たまのデカフェ珈琲にミルクを割ったり, そうやって,身体中をサラサラにしたいと望みながらも,郷土の 強烈な土着酵素のロマンチシズムを鑑みては,夜型の自分の昼は こうして,夜食の片付けや,湯沸かしや,買い物に鍵締めなどを する自分の夕刻に遣って来て。けれども,決して暗いのの好きじゃ ない訳ではないのだから。カフェオーレを傍に置きながら,この CD造りや,簡単なスケジュール調整などをモノづくりに照らしては 考える,何だかジャコピーナッツのような,そんなつまみの時間が 好きなのだった。モーレツに,そう。好きなのだった。
考えたり,それを過ぎて考えなくなったり。考えなくなったりもする, この時間は,とっても好きなのだ。素敵な本とは,どうゆうものだろう とは,イメージしてみるのに,絵のない絵本。とは,アンデルセンなどは ほんとうに絵のない絵本があったら,どれほどすばらしい本の出来上がるか? こうやって想像して,冒頭の月のシーンなどはそのヴィジョンだけで,もう 一介の,その一遇を照らす,すばらしい本を頭脳の書棚に掛けていてくれる。 詩学とゆうのは考えないところから始まり,意味の詩学があるのなら,それは 哲学・文学の境遇に身を置いているとゆう証左になっているので,考えなくなったり。 そうして,詩学の始まり,結局は月の登場する冒頭のシーンへと還ってゆく。 メルヘンが必要なのだとはゆうけれども,メルヘンである日常に追加するのは, コッテリした童話である必要はない,そんな意味深な調味料は眼をつぶしてしまうので, それこそ,気づかずにいる,本体の”メルヘンである日常”に,気づかせる,お酢のような そんな,目覚めの香辛料をこそ,普段の何気ない詩学としての香辛料こそ,やはり 頭脳の書棚には掛けておきたい。スパイスのある風景には,意味より香りの詩学。
ようやく…

恍惚とゆうのは,柿と春菊のヨーグルト・サラダ

早くも,冬の気配を感じるこの頃の,何故だかこうもはやく, 落ち葉は散りきってしまうもの?とは,そうゆう感覚にして, 早くも,冬の気配を感じるこの頃の,恍惚とゆうのは, 柿と春菊のヨーグルト・サラダを,試みに造っていただく,また。 豚キムチとゆうこのストレートな表現にニラも加えて頂いた,その 翌朝に,豚キム丼を造っては,絹ごしにひきわりを載せてまた,頂く。 すこし秋のにおいのような感じの減ってきた気のするのだ,下手に 猫の機嫌を窺って無視されるような変な気の使い方を始めるような。 こんな季節に,冷たい絹ごしは何故だか秋の余韻を強烈にしてくれる。 幸せに,言葉の記憶を紐解いて,恍惚とゆうのは,柿と春菊のヨーグルト・ サラダ。こんなメッセージを,ヨーグルトは塩加減を合わせて,より単純に 熟柿に親い身をほぐして,生の春菊と。そのヨーグルトの酸味に柿の甘味が ドレッシングの作用を担って,春菊に和えて頂いているような,そんな感じで そろそろ,珈琲豆も切れてきたのだけれど,うちはデカフェのものを所望する, 夜派の珈琲習慣の着いている昨今の。シンプルに加工しているモノでも良いから, 美味しく呑める,とゆうことだけは大事にして,珈琲を日々淹れてゆきたいのだ。
ミカンも終にはお茶の間の卓上に昇りだした。ほんとうに,炬燵はもうひと月も
前より出していて,炬燵で寝てしまうこともあったのだけれど,ミカンの昇り始めると
ここまで落ち着いて目の前を直視できるのか?とゆうほど,安らぎの効果を,この
たまのミカンは与えてくれる。非常な世間体の嵐を感じていて,それは,きっと。
メーターの振りきれたように,悩みの尽きるときには,ああ,安らいだ。冬のミカンは
こうした,悩みの振りきれたときに起きる,不可思議な酸味の効いた芳香を発生させる。
発生とゆうより,発声と言ったほうが正しいか?いいや,正しくはないけれど,発生の
発声するように,たまねぎよりも目に沁みるような柑橘系の飛沫には,こんな目頭の堅い
気持ちのような冷徹なココロにも,それはほんとうに美しい声楽のように,目に沁みる。
キャタピラーの木目のようなコロコロとした形で,皮をむくと現われて来る身のミカンは
ご老人の諭し方のように甘い囁きで。とつとつと,うつろうとうつろと,そして安穏とし
ぼやくようにつぶやくような甘さで。それでいて,酸味ときたら,若…