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芸術の領域,

他方のエゴイズムではない,
芸術の領域。健康のエゴイズム,
他方の高いとしか言いようのない,
芸術の領域。小鳥が巣箱に戻る。
私は修道士だ,と言っても,まだ
僧服を身に着けてなければ,そうは
みえないもの,そうして,小鳥が還って
芸術的な高い領域の黄金の領域。

昔は,と言って,昔は,好奇心も,その
芸術の領域も,いつの間にか着ていない,
僧服も,身の回りにはみえていたのだ,
そうしてそのまま,なりふり構わず,北風に,
いや,さらに日の光りに,やけになって,
水浴をして,あぁ。
って,池の鯉に,目をやりつつ,僧服を
搾るのだ。長い旅に,とっても長い旅に,
小鳥たちは立っていた,還ってきて,私は
もう祈る好奇心や,はまるようなヤケの気持ちさえ
日の光りにも,寒い北風にも,感じはしない,その
瞑想詩集に感化される,感じやすい感受性は,
細胞分裂,異化作用の角質異常の完成された,
熟年の身体には,通用しない,それは,領域は
芸術の領域は,もう小鳥の中には,帰る巣箱より
高い樹が実った知恵の実に照らされて,うっそうと
そびえている。彼は,棲むものかつての住人が還って
初めて,好奇心のより巣箱以上の,高い芸術性を
自身が届く範囲で適えてしまっていることに気づく。
タイマーが鳴って,鍋の調理が終わっている,と
気づく。そこには,あとは調理されたものを頂く。その,
喜びしか残っていない。自分の果実を帰った小鳥の
お迎えに,供するより以上に,自分たちも感得する。
燃え尽きないためには,芸術の領域より飛び立った,
小鳥を迎えること,自ら届いていた枝ぶりを,果実の
成果によって,満たすこと。

刈り取らなければならないか,
収穫を楽しめるのか,それから
苦しみを,収穫へ駆り立てたその苦しみを,
成果まで楽しめるのか,反骨心まで呼べる,
苦しみよりの浄化を,それを,成果として,
収穫までゆけるのか,燃え尽きないためには,
刈り取らなけば。収穫祭は,田畑にとっては
復活祭である,小鳥が還ってくるのも,むしろ
その収穫に呼ばれてのこと。放蕩している,
みな放蕩している,身体は放蕩している,そんな
健康のエゴイズムの,他方,高い領域の芸術。

身体の成長に促されて,めきめきと育った,
果実にいたる収穫までのあれやこれや,
香油を浴びるより,それもさながら,香油は
収穫によってもたらされた,燃え尽きないための
復活祭。

だから思う存分浴びればいい。
それは,樹も果実をまた着け始める。

こちらは如何?

看護する側に廻り、眠りに落ちる、共に眠りに。

岡本太郎=セザンヌ=バイロンの火星長老による招聘を受ければ、
義朝=石田三成=楠木正成=家茂の聖者の行進を垣間見る藪木の隙間。 セガンティーニ=ヨハネス・タウラー=ペスタロッチー=カラヤンの子羊は、 また、ミレー=シュペルヴィエル=モーツァルトとゆうルシファー獣神の、 〈飄々として哀切とした、剽窃されて漂泊した自我〉なる者かく言う、あの モネ=カント=コロンブス=マルコポーロ=ディオゲネスの冷徹した眼光を、 ただ、火星長老とゆうのは、とつとつと、そう言って区別することにアートを みるのだった。ただ、そうやって、みるだけなのだったとゆう。 野生酵素を摂るように、優しさが残酷じみてゆき、そうやって グラウンディングとゆう呼び名のもとに、怒りや焦燥さえ含んで 我が心は我が身へと変わってゆくものなら、それは嬉しさのモノ。 そうやって、人間性は、ハートでは扱うのでなし、充分に丹念にして、 もっと、腹の底より、怒り、泣き苦しみ、笑おう。とは言う、 つまり、単純に、セクシュアリティによって、怒り、哀しみ、そうして 微笑みを浮かべるのであったら、頭脳ではない、完全に下方よりの 感情を体験できるのなら、それが、グラウンディングである。とは言うモノ、 根を降ろす、とゆう惑星に張ってゆく清濁併呑の心根は、そういった 太陽神経叢によって、考えて知悉し、また、情緒を宿すのだ、とゆう。
そう。例えて、喜びについて、語りたいのだった。それらは、 どんな茶葉でも、豆乳チャイに。そうして、それらは、どんな酵素シロップも 烏龍茶割りにして。眠りに落ちれば、人格は修復され、戻ってくる秀逸な。 ジンジャーハニーは上の空。いつも、どんなタンニンに合わせて行けば、 そう。考えているので、眠りに就いて戻ってくる感覚は、やはり三島文学よりも 太宰のヒューマニズムなのだった。檀香の匂う、龍馬祭壇の例えてあれば、 それは、トビナガスネに、イザナギの黄泉返りのようにして、それで もうすでに、取り返しの付かない記憶錯誤も、錯綜した宮の水のように 桜の香りに、桜餅の夕べ。喜びについて、語りたいのだった。それらは サルタヒコのリルケ=ヒュパティア=ドナテッロ=ラムセス2世とは、 また対置するのも良いことです、それは、よいことで、それでいて。 肝心なのは、眠りに戻っては我輩は太宰である。と、連呼自称しつつ、 この、ジャーニー…

真実さぐりあてるは信玄墓。

川端康成=宮本武蔵=武田信玄=法然和尚の純和系譜を辿るのに,
それはA.フランス=クライスト=アランソン公=クラウディウスの
ヘロディヤとしての声明に浸されて導かれる過程の裡に,あって。
きっと,元を辿れば,何かしらのエスプリめいたシニカルな何か,
シュールを現実を超えた何かとして,美しさしめす何らかのBeauty,
そこに端を発して決して,柔らかくないイカの燻製のような,酒肴。

相変わらずのパインとカフェオレを合わせてしまう夜の茶会において, こんな思索は産まれてくるのだった。ロマネスクより,脱会して,その 蕭条とした茶会に加わって更に問題視される,有意義な理由=意味とゆう ものを,文学性談義として排してゆけるかを『意味するとは,問題視される べき,テーマとは言ってもなあ。こんなことを語らうことに,意味ある?』 そんなものなのだ。眠っているのではない,デカフェの珈琲に酔っている。 なので,A.フランスと川端先生は気が合うのだろう,きっと。
ひとつは,古代の荒野に遺跡ありて,イニシエーションを体現するほどの 秘跡めいたものの表現は,フランスにおいて白眉たる。そうして,それを 体験するべき文学性のウツワを持っている川端文学においては,そういった 何らかの神秘性を,墓にまで持っていける産土性のその連呼する連帯性土壌。 ひつまぶしや,土瓶蒸しの茸の匂いのようなものか,とはいえ意味するべき, お腹に這入ってしまえば一緒だろう?いいや,そうではない,記憶の裡にも 排泄過程=忘却のあるように,そこより産まれる土壌菌に幸あれ。
フルーツを購ってかえるのに,そんなに甲乙つけるべき基準はなかったけれど,
価格に応じてよりも,ほんとうに裂きイカ,揚げ裂きなどにいたっては,中には
酸化しているようなものまであり,好きな適当に購えるイカの肴は,ほんとうに
限られてくる。美味しいものは旨い。これは,甲乙つけるべきとゆうより,その
観点には,何か海の匂いとゆうようなものもあって,好きな肴は,きっと記憶に
合っている。記憶に合っているのは,その海に何らかの骨を埋めているような。

いつもこんな,どこに骨を埋めているのだろう。とゆう,前世ゲームを=書物渉猟 と合わせて,楽しんでいる。楽しんでいる,とゆうのは,自分探し=自己同一性の 自己を,自然と,どうやって一致させられるかの自然一体化問題でもあっ…

あんぽ柿を大吟醸で,燭台の黄緑と,マグカップの薄紫。

実家に帰ると,とんでもないお酒を頂くことのできる,あの
大吟醸で無濾過生酒など,地酒の甘いこと甘いこと。辛口とは
描いてあるけれど,どこか甘いのだった。そんなモノを,あんぽ柿の
干し柿熟柿に合わせて,あいだで肴をたべながら,ちゃんぽんで赤の
ボジョレーを頂いた。今日はグルメの香味スパイスめぐりとゆうことで
山間部の道の駅などを廻って,三種類の梅干しと,スティックブロッコリーを
購って帰る折の,そんな賞味期限切れかけの塩ベーコンと炒めてワインに,
実家の燭台は黄緑色の真鍮製で,そのコースターも黄緑の刺し子織りのモノ。
また,お茶を淹れるマグもラベンダー色のカップに,コースターは偶然,その
ラベンダーの刺し子である。身体中を龍神の駆け巡るような幻想を憶えて,
三種のブレスレットを嵌めて横になる。久しぶりに寝落ちとゆう奴を経験しそう
なのだった。ミカエルは,アマゾンよりヨーロッパへ。ウリエルは,アフリカより
アメリカへ。ガブリエルは黄河流域より日本へも拡がり,またもラファエルは,
チグリスユーフラテスよりメコン川インドそうしてイギリスにいたって,春。
そんな夢を見て,ちゃんぽん思想に師走並みにぐでんとしながら起き上がって
それで,十五穀米とゆう紫っぽいご飯に,オリーブ油と醤油で,納豆かけにして,
その方がむしろ卵よりつなぎには良いのかもしれない,など,ゆっくりとして,
例えば,オリオンの宮沢賢治のいて,ニーチェ=マザーテレサの修道士の苦行に,
倫敦者のアイザックニュートンは男性的に自我を与えてくれるのを,さて芥川氏は
女性性に守護して介抱をする野辺の寄宿には,彼らの中心は,孟子=スターリンを
結ぶ何らかの,革命指向なのだと気付くのだった。殉教した聖ヴァレンタインの遺した
あの,香ばしいカカオの実の焙煎のようなものなのだろう。

まるで、そこかしこの庭の地下より、赤いトマト果汁の ようなマグマか、硫酸の血潮みたいな地球の声を聴くと、 それは、フェミニストパッションならぬ、南国のフルーツは、 あそこに溶岩ドーム温泉などあるから、あんなパッショネイトの そんなような往生する浄土のような気概を一身に受けたり もする。木目調に脂の載った、イザナミシュタイナーとも 呼ぶべき、日本の神秘学受容は、まるで妖怪以前に、神さまの 居場所は、まさにそんなマグマ帯の中に、含まれていたよう。 ペレ…