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1月, 2017の投稿を表示しています

みかん1個,

お風呂上がりに,みかん1個。
MUKTIのヘンナ葉ヘアオイルを,小さじ
ひとさじ髪につけて,冷え取りソックス。
黄色い手編みのニット・キャップを耳まで,
すっぽりかぶって,みかん1個。エンドロールまで
アニメのDVDが視聴し終わって,はからずも,
アントロの,アルベルト・シュテッフェン研究。
シュテッフェンが居たら,『アルベルトでいいよ。』,
そう言うだろうとゆう発車地点から始めて,乗り継ぎ
乗り継ぎ,新神戸駅まで行こうと思う。珈琲など,
一生懸命のんだあとなどのアルベルトの記憶は
やはり,シュタイナーの高弟と言えば,彼なのだ,
彼が何時も側に居る,彼が何時も側に居る,とは,
何の由縁があってなのだろう,もちろん隠喩。では
『高弟とは,何なのか。 』それは,「愛児です。」その
愛児を傷つけたのは,サロメーの隠喩で,また,
やはり地獄の王子とは,雌獅子のホクロ,そうして,
地球がありました,地球は雌獅子の意識でした,
それで,彼女が『みんな,一緒に。』と言った時点,
あの時,この歴史は始まるのでした。それでは,
雌獅子の本質とは何か。みかん1個食べて
想う,婉曲的にそれは
「みかんの皮が放つ,ネロリの故郷。」とゆう,その
柑橘の里,瀬戸内の小島,安徳天皇の壇ノ浦,その
風光明媚な里は,(FireFoxなるブラウザは,元来,
ネスケ由来であるがの如し,)自由の体現,また
自由の体現者とは,ネアカで,不幸な根暗をも,
ねぐらにあぐらかいて,寝てしまう。風光明媚な,
そうゆう里と言うもの,(Blendyのカフェインレス・ドリップ豆,
なんとフルーティな味のすることか。)冷え取りは,逆に
頭寒足熱を,足首に乾布摩擦して行う,二束三文のこの
生命,暮らし豊かに,生活うるおい,ハルシュタットの,
湖水はそのように出来ている,風光明媚な古里とは,
そうゆうふうに出来ている。からにして,
お風呂上がりに,みかん1個。
MUKTIのヘンナ葉ヘアオイルを,小さじ
ひとさじ髪につけて,冷え取りソックス。
黄色い手編みのニット・キャップを耳まで,
すっぽりかぶって,みかん1個。エンドロールまで
アニメのDVDが視聴し終わって,はからずも,
アントロの,アルベルト・シュテッフェン研究。

珈琲の変化。

珈琲の変化は,観察できないように,
R.シュタイナーも『思考は観察できない』,
左回しの珈琲に,なったことに気付く,その
余暇があれば,淹れたくなる,そんな気分に
気付く,romanticに時のすぎる夕べ,あの
ペーパードリップの終わった湯気を観ながら,
すぃーっと,呑みこんで吸い込む。そんな,
思考の変化には気付けないように,
珈琲の変化に,気付く。 そうして,
座布団を三枚重ねて,炬燵に椅子みたいに,
ただ,ただ悶々として,French Popsみたいな,
チュッパ・チャップスの連立するパステル・カラー。
自由,自由とはいえ,共感作用のない訳ではない,
共感作用のあるからとはいえ,反感のない訳ではない。
反発する,批判精神を抜きにして, 優しさの愛する,その
平和作用を体現することは出来ない。だから,一言で,
『苦しみなくして,優しくする。』そんな観察は有得ない。
だから,そうして,平和の実現のためには,やはり,
共苦は,必須の要件である。愛は,雪である。その,
凍てついた空間の中には,必死の温かさのあり,
音を吸収し,必要に温かさを促し三角座りの僕を,
一気に眠りへと陥れるから,また湯舟にしっかりと浸かり,
ながらながらの瞑想に達する。
珈琲の変化は,観察できないように,
R.シュタイナーも『思考は観察できない』,
左回しの珈琲に,なったことに気付く,その
余暇があれば,淹れたくなる,そんな気分に
気付く,romanticに時のすぎる夕べ,あの
ペーパードリップの終わった湯気を観ながら,
すぃーっと,呑みこんで吸い込む。そんな,
思考の変化には気付けないように,
珈琲の変化に,気付く。 そうして,
座布団を三枚重ねて,炬燵に椅子みたいに,
ただ,ただ悶々として,French Popsみたいな,
チュッパ・チャップスの連立するパステル・カラー。
珈琲は便秘を解消するのである。そうして,また
一体化する自然は,満開の桜が春の訪れ。酔い,
自分がある,とゆう自分の本来の姿を描写する,
多分,自分は,こうした『自分探し』の結果,多分,
ドリップするの,好き。



香菜の香味。

フォー,おにぎり,茶碗蒸し,また,
存在する理由を,見つけては,返し,
ところどころに,有終の美を体現する。
雪道を運転するのは,非常に飛ぶ心地。
WEB上を,メッセージの飛び交うのと,親い。
愛,とは何か。探りながら,情熱だ。一度,
行っては,返ってきて,やはり太宰フリークに
戻るのと,同様。行っては,やはり
業の泉に戻ってくる。KARMA SPRINGとは,
春の業とも,言える訳で,情熱と業。

明太の焼きの欠片は,食卓の上に飾られ,
ぼくは,それを,塩むすびに添えて,頂いた。
数学的な嗜好,そうして,風味は香ってくる。
ベトナム・フォーや,インドのスパイス,カルダモン
などは,見事に,再来の体現だ。コンコンと,
泉より涌き出る業と融け合う風味。茶碗蒸し,
母の造る蒸し立てのそれを頂いて,晩御飯。
フォー,おにぎり,茶碗蒸し。何故だか,
湯気の立つ温泉場に似て,硫黄やら,ラジウム泉の
源泉の香り立つビリビリとした温熱腺。

雪道を走る車の運転上,がたごとより,浮遊感が強い。
それと似て,エイリアンの種を頂いたかのように,
守護聖人のような,その日本の守護神は,まるで
強烈なインパクトの揚げ立つ温泉玉子。
運筆とゆうのが,曖昧に燃え立つような時に,するのが
適しているように,湯上げにも,また冷えた寒風などは,
今一度,源点のサイコロジーに戻してくれるから,
WEB上の,表現はやめられない,鬼貫の江戸より何時も
蘇えるとしたら,何時もWEB上に記帖されていただろう。

自分なりの愛。

自分なりの愛。
ベシャメルソースで出来ただけの
愛より外に,恬淡とした武士道の,
はたまた,知性の限界領域の,また
さまざまな愛があるから,自分なり
の,愛を探して,自我の誤謬推理の
建築工学,はたまた,自分なりの,
愛とは何か,探しながら。
ベシャメルソースの愛とは,やはり
恬淡とした武士道の愛とは違って,
胃腸で考える豊満な愛である。
恬淡とした武士道の愛とは,それは
知性の限界領域の愛とは違って,
非常に無感情のすっきりした愛。
また,知性の限界領域の愛とは何か,
千里眼の審美的,自我の誤謬推理の
なにがしか,とは言えば,そうゆう
自我の誤謬推理とは,限界領域の
知的愛情とちかい,とは言える。
クランベリーにカッテージチーズを
合わせたような,そんな旨味と酸味。

祈りに合わせて,ひとところに,愛。
感情の業の湧水のひとところに,愛。
祈りに合わせて,ひとところに,愛。
なんでもよいから,自分なりの,愛。
感情の泉より涌き出る自分なりの愛。


季節感グリッド,

表現の根幹は,季節感でやってきた,
そうゆうのも,人間性の問題で,本気では
ないのかもしれないけれど,本気な人間性と
ゆうのもあながち無理のきいたものなので,
季節感グリッド,とゆうことにして,春の訪れ。
太宰治氏が,変換すると,太宰治虫になる,
そんな漫画の画の道のような太宰治虫氏の,
先生は,雛菊の墓の,尾藤太刀魚師で,何で
婉曲的にゆわなきゃいけないかくらいの,何で
恥ずかしいのかわからないくらいの,何でだか。
チベットの師のように感じられてならない,あの
季節感グリッドの,師伊藤左千夫氏の,バリの
修行僧時代の師匠と言えばあの,伊藤左千夫氏の,
それはアンニュイなメタファーであるのだけど,その
野菊の墓に鮮明なる心象を抱いていたのか,太宰の
図録を観ると,常に一幅の左千夫記の筆軸ばかり。
師はやっぱり季節感グリッドのものなのだから,その
師匠先生方に感じる,師らしさとゆうのは,何ものに
おいてもその,季節感グリッドの外にないのだから。
椅子が降ってくる,クリスマスの夜に星屑の絶えない,
スターダストな夜に,椅子がたくさん降ってくるあの,
クリスマスの夜に。それから,端午の節句や,梅の時期は
必ず,武内さんに参って,武内さんの宿禰の命さまに,
必ず助けてもらった,そんな思いで両足で立つ。よく,
中村一義さんは,100sの歌詞に『両足出せば,全てを。』
と,言ったなぁ。

ともかくも,過去の精算は,マリア信仰のなかで
見つける。マリア信仰はやたらめったら,ファンタジーではない,
けっこう母性的なスパルタ・キッチン・ママだから,ママは,
床で寝ておいでよ,とは言えないまで,そんな僕だから,
しっかり両足で立つ,また冬の最中に雪が降るのは,湿気の
沢山に含んだお山のあるからで,山のある所には,泉のある,
そうゆう湿気の含む母性的マリア信仰を過去の精算とゆう。
泉より雪の降り来たる,ブロッホは希望の原理を描いた時点で,
彼が聖ヨハネ的発想を持った。だから,僕は過去の精算を,
受容る時点で,夜叉に向った釈迦如来のように,目標のあの,
左千夫記。季節感グリッドの中を,勇んで降雪の行進する。

『自然一体化』読了,

Reincarnation,輪廻転生の秘密を
『自我の誤謬推理の建築』とゆう,
埴谷雄高氏のこれもだめ,あれもだめ,
呟きながら,精神の推敲作業。そんな,
自我の誤謬推理をするうちから,もう
自然一体化とゆう一冊の本を,読み了える
ひらめく一瞬まで到達して届く読書感想の
手紙。感情の飛び込んでくる,どの道が好き?
とゆうような,感情の整理は,機織りのような
縦糸,横糸,幾重にも垂直に交わる。
感情の飛び込んでくる,世界は自分の一部。
自分は,また世界の一部。機織り糸紡ぎは
とっても数学に親いから,太宰の晩年の
初めのほうに,着物の段が出てきた時は
うれしかった。晩年の機織りなどとは。
昔,自作小説にホワイトカプチーノなる
嗜好品を表したことがある,今は,ウィーナー
コーヒーにクリームをはじめより溶かして,
ホワイトカプチーノと呼ぶ現実に,そんな
イメージだ。自然一体化とゆう小説は,
はたして街全体の呼吸の味わいで,精神的
匂いや風味を感じながら,はて,Reincarnation
転生の問題。さいしょから,そんなものはない,
書物を渉猟する,その一言にすぎる。そうして
また,自らを渉猟する,狩り獲ったわたしは,
自己同一性の,サロメーだ。確かに,バプテスマの
首を抱くサロメーは,自己同一性の証明。
プルーフオブ・アイデンティティ。それまた,
RSを人間失格に名指しした,青い花の同人,
太宰の治氏に良く似ている。自らを狩り獲る,
そんな自己渉猟を,『自然一体化』の,
読書感想のテーマにしよう,それはまた,
ホワイトカプチーノをすする,小説の人物に
語らせた,あの一言。
「光子,ひとつ,子どもを宿してはみないかい」
あれは,アンデンティファイド・ワンネスなる,
自己同一化だったのだ。
自然一体化,自己渉猟,自己同一化の過程を
追う,プルーフオブ・アイデンティティ。


出た,大谷崎。

甘酒を口にして,運筆をする,
ゆかしさ楽しさ,あな面白さ。
イザナミの影に,持統光明推古の女帝。
天岩戸に,天使ガブリエル,8代吉宗と,
高杉晋作,大谷崎の細雪。すっかり,
谷崎さんの肖像を待ち受けにして,
気分は,ままかり舌鼓する,甘酒の当てに。
あの,カンディンスキーの日本版ともゆう,
とってもカルチュアルなPopさを,また
先生の個性は,文学ではなく,描くことの
そのままに文化を踏襲する,また可笑しき
言の葉を連れ連れ曰わく,gourmetでもない,
含蓄にでもない,いわゆる詩情でもない,
あとかたもなく,口もとにほどけてゆく,
こんな安堵させる甘酒の味わいにも似て,
今までの,イザナミ時間ともゆうべき,
女帝の責め苦は,はたまた手つむぎになって
すべて活かせる,享楽興味になって換わってゆく,
手元で,和綿棒を手繰りながら,糸紡ぎする
その最中に,女帝や岩戸の番人などの形象に
冬の文化を細雪のように占拠する冬将軍。
彼らを,押し留めて,ああ,出た,谷崎の
思い出。記憶の中に,大正の悪魔主義とも
呼ばれた,大谷崎の文化そのもの。それは
Pop Cultureに相違ない,冬景色の中へ,
ひと筋光りをさぐっては,また障子を閉じて
忘我の瞬間のKarmaの解体する瞬間の
降り積み初める雪の記憶のあれこそは愛。
谷崎潤一郎の個性は何だろう,何もない。
そのNothingの故に,没個性である,婉曲的に
悪魔主義とは,極陽と極陰のまじる,雪の冷たさに,
舌鼓打つ甘酒の粒々に,ああ,いまいちど,
一瞬でも眠りに落ちて,一瞬でも気絶するように
谷崎の文学史に落ち込みたい。
谷崎さんの肖像を待ち受けにして,
すっかり,気分は,
ままかり舌鼓する,甘酒の当てに。


冬の日のgain。

妻は,横になって,寝息を呟く。
早く,自然と一体化するのか?
また,人間性と一体化するのか?
お洒落なのは,人間性のほうである。
二杯目のフォーを頂いて,
冬の日のgainを聴く。
人間性の賦活,グラウンディング作用。
その別の名をKarmaSpring業の泉。
早く,自然と一体化するのか?
また,人間性と一体化するのか?もう,
眠る前に,ライ麦パンも頂いて。
甘酒の出来上がりを楽しみに。
早く,この自然と融けあいたいものだ,
また,それは人間性の開花と同時に。
早く,自然と一体化するのか?
また,人間性と一体化するのか?
KarmaSpring業の泉を呑み干すとは
言うけれど,元日に遺る餅米の,
その鏡の中,遺る餅米の,またしっかと
南天啄む小鳥の粒やきと,
人間性の一体性と,自然一体化の
同時に起こるとしたら,それは,
木造コテージと,ガラス窓の赤いガーベラを,
つなぐ何かであり得るので,
早く,自然と一体化するのか?
また,人間性と一体化するのか?
冬の日のgainを聴きながら,とりあえず
とにかくも,急かされるのは好きじゃない,
桜桃の朗読を聞いて,瞑目する。
とりあえず,とゆう
桜桃の朗読を聞いて,瞑目する。


洒落。

お洒落シャレっ気とは
諧謔=ペーソスのような,
雪の降る夜。トックリ帽を
被り囲んで,暖かさの拠り所は
電気毛布。お洒落シャレっ気とは
諧謔=ペーソスのような,
僕は,歴史の拠り所。そうして,
トックリ帽のシンボルなのさ,
諧謔=ペーソス,重ね重ねて,
本当に,雪に埋もれり椎の実みたく。
いつか芽吹くの,あの木漏れ日を,
夢みて,いつまで荒涼寂寞とした,
日々をルーチンの日常茶飯事と,
受け取めては,トックリ帽の象徴。

インドアの諸相,とはよく言う。
近くの森の大樹は如何にして,友達を
あんなに側に置いて,いつも荒涼の中,
いつも宴会を描いて嗤っているのか。
そんな生命の樹構想を含めて,何故
彼らは,冬の夜に温かいのか。その

声にならぬ声に聞き耳を立てて。
トックリ帽の象徴は日々の糧を,
アメリカ文学に,ライ麦パンに,
また,Let it Beに。そうして,あの
有り体に言えば,椎の実を落として,
温かさに,声ならぬ宴を開く。
情趣不玄として,蒙昧跋扈たる
不玄とは不弦とも言って,声ならぬ。

冬の日のgainを聴く。余計に聴こえる。
こんな最中,桜桃の朗読をそばだてて,
おもむろにながす,宵の裡のロマネスク。

Let it Beの境遇に身をおける有り難さや,
果ての者。世界は,おもむろに芸術家。
フォーをいただいては,舌鼓した,記憶の
反芻。色んな世界は重なってる冬の夜。
もうすぐ,gainならぬgainの聴こゆ。
もうすぐ,ドングリの宴の聴こゆ。
もうすぐ,欠伸の後のいびき。


タラ,カキ,海老,豚,つくね。

ありていに言えば,ゆくゆく眠るのだから
LET IT BE AFTER MY FIGHT,その,
それぞれの戦いの裡に,寝てゆけばよい。
ラベンダー・アフター・MY夜食。また,
『はい,ラベンダー茶っ,』と言って,
2階に,持ってゆくのだが,何か,
ニコニコした様子で受け取り,
『何,さっきから,ゆってんの?』とばかり,
「ら~めん食べちゃ,ら~めん食べたっちゃ。」
と,聴こえるらしく,ラベンダー茶で消臭しよう,
BEEF味のインスタント・ベトナム・フォーは,その
とっても久しぶりなのだから,ごまかしながら
階下にて食べる,ごまかしながらのラベンダー茶は
とうの見破られて,

『びっくりしたぁ~,もう,カミングアウトし始めたか。って,』
「ら~めん食べちゃ,ら~めん食べたっちゃ。」
グラウンディングした,階下の部分で私たちシェアし合う。
そうやって,ラベンダー茶の前のBEEF味フォーは,
とっても戦いに明け暮れた思索に耽る瞑想戦線から,
ようやく,ケ・セラ・セラ,なるようになる,もう止めよう,
おかゆを食べて,「病気になったみたい,幸せ美味しい。」
とゆうような,終結宣言であった。

タラ,お鍋で解れる,身の白さ。
カキ,ちぢこまるより,粒の新しさ。
海老,味噌の甘さは,戦いの証。
豚肉,ただ斬新に,しゃぶしゃぶ。
つくね,胡麻ニラ卵黄が決め手。

最終章は,
何処にも居ない,
自分を探す旅。

居ない自分は,
自分を探す「私」も居ないのだから,
そのようにして,居ない自分は
何処かに肝を見つけるはず。
<角質異常>とゆうテーマは,
異化作用の何かしらである,
その肝がなければ,
自分は存在しないのだから,
タラ,カキ,海老,豚,つくね。例えば,
スマートフォンなどの影響によって,
世界は想像以上に芸術家として,変化し
機能し初めている。何処かに,<角質異常>,
異化作用の肝ならぬ機能を見つけながら,
居ない自分は,
自分を探す「私」も居ないのだから,
そのようにして,居ない自分は
何処かに肝を見つけるはず。


腹の虫の芥川先生。

腹の虫が囁く,
「腹の虫が本当の自分?」書店を旅して,本の香りだけで
積ん読ならぬ,積ん散歩ができる,
そんな「第二の脳は,腸なのだ。」確かに,業の泉などといって,
KARMA SPRING主宰を自負している,
そんな僕は,主知主義ではなかろうに,
ただただ,業の泉は,主腸主義ではない,
自負している「私」は,主知主義的で
あったはずなのだ。ただただ,言うべくは,何の本懐とでも
ゆおうものなら,やっぱり,腹の虫の
芥川先生は,「私」の本懐ではないのだ。
EDUCATIONAL ASSIST
CLOUD PRINTING
ALL GROUND RECORDINGなる,
平等院にて天台香を焚く東照宮の
芥川もののふ女帝さまは,教育支援の
「シフト・ブロガー」推進委員,または
ヘロデ王のような,侃々諤々(かん々がく々)たる,
たとえば,もののふ節のうちにも,清冽な紳士たる,広陵霹瀑(こうりょうへきばく)たる
紳士の,龍馬殿などがLONDONの町を歩いていたりして,
彼が,紳士の道歩み始める漱石の「則天去私」の萌芽と
出合ったりして,とにかくも騎士道でも,紳士的なる某,
一方には,龍虎相槌つの龍馬先生,
他方には,獅子奮迅アナトール・フランス先生の,
腹の虫が囁く,
「腹の虫が本当の自分?」これは,難しい問題だから,
腹の虫とゆうのは,食後に働くもので,
清冽な何か,やはり主知主義とまではゆかなくっても,
主知主義的な何か,が大変必要で,紅茶ストレート,
呑んで憶い出す,「あぁ,そうか。」
<腸は,第二の脳。>だから,第一の腸があれば,
第一の脳も,あって,紅茶ストレート呑んで臨む,
舞踏会には,雪の道すがら,
「長靴の」ロング・ブーツは要るでせう。と,

シフト・ブロガー。

シフトをこちらの,LONDON ONE。
ブログの金言を目指して,いざ出航。
やっぱり,JWTとゾンネンブルーネンの
組み合わせはいい,食後に噛みしめながら,
筆を執る。そうだなぁゾンネンブルーネンの,
ハチミツか,ゴマペーストか。きな粉とか,
いまのところ,そのままの味しか知らないし,
知りたくもないとゆう頑なさをもって,
もうこのまま,忘我の告白へと,移りたい。
あの,まどろみの中の自己同一性へ。
タイガーアイの,ブレスレットを購入してから,
たまに数珠みたいにして遊ぶことを憶えた。
人の伝統とゆうのは,今更ながら同じだ。
仏教伝来とゆうまでもない,その茅葺き屋根の
お地蔵さんたち香しく燻製の匂いを嗅ぐ。
シフトをこちらの,LONDON ONE。
ブログの金言を目指して,いざ出航。
ひとつ,妙好人とまでゆかないまでも,ひとつ
もおひとつ,その茅葺き屋根の匂いに堪能して
仏教伝来とゆうまでもない,天然成分のリンスを
トリートメントとして使う心地。
天然成分のリンスをシャンプーとして使う心地。

そうして,追分の堀辰雄氏が何故,
あれほどにも郷愁を感じさせず
ロマネスクなのか,その発想などの,
茅葺き屋根の香しさに,打たれて放つ,
加持るるるとして,遊行行脚,
『精神のトイレ構想』や
『日本航行倶楽部』など。

<シフトをこちらの,LONDON ONE。
ブログの金言を目指して,いざ出航。>として,

本当に,現代の虚無僧などの
姿はどんなもの。
ひたすらそれを,『シフト・ブロガー』
として,Web上の,
虚無僧力のうちに,業の泉を呑み干して,
自分の行脚していたのちの,
日本を想う。
やっぱり情熱だ,
そうして,やっぱり自然一体化。
虚無僧力の業の泉の。

『考えるな,見よ。』

考えるな,見よ。の絶対知,
ヴィトゲンシュタイン氏と。
沖ブリ食して,余技は発句の
外に何もない,
天照の芥川先生と。
獅子の紋章,ただ仕えるだけでは,
ものにならない,らいおん・はーと。

物を食する時,ある程度酵母なりを
口にしていないと,健やかに食事
できないように。
文章を著す時,種のエサやりのないと
描けないように。
物語の中心は,思い描くようには
進行しない,或いは存在はしない。

時々,朝から夕方にかけて,
物語の中心から離れてゆくように
感じる心は,目的性より失われてゆく。

適度な中庸とでもゆうような,
ブルーベリーの100%を頂いたあとで,
中程度,ある程度で良いと思うなら
物語は進行してゆく。

中心に居たい,
そう願う時の自分は
隠れも見えもしない自分の
雲隠れした自分の,
根を張るとか,
グラウンディングのあれこれ,

『考えるな,見よ。』
とは,考えるうちに,
目的を達成した
中庸の立場より
現れ来る。

とにもかくにも雑食性,
とにかくにも,
食パン頂いて
目を開くのだから。



冬には半袖を。

冬でも半袖を着ている,小学生。
清貧の思想に,半袖の機項,そんなの
あったっけ?それにしても,大人になると,
温泉の浸かり具合がカラスの行水から卒業して
妙にホッコリする。そうして,暖かい領域に入って
ゆく,珈琲の温かさを知った後に,
お風呂の暖かさも知るようになるとは。詩の,
領域に,フランスの,ヴァレリーや,マラルメの
いるように,獅子の紋章に照らされた,そんな
踊り子の宴は宵深く宵あさげに過ぎてゆく,
太宰は,芥川の敬ったフランスを,そうやって
眺めていたのだろう。アナトール・フランスが猿だと
したら,太宰治は,犬猿の犬でもある。何故,
東照宮家康公は猿のような画のポーズをして,
猿の惑星は,宇宙猿としての神を描くのだろう?
そこまでして,国津神としての,太宰の犬の姿を
描くと,天津神としての,アナトール・フランスの猿の神を
迎えて,頭のコリをほぐそうと,必死でマッサージする,
そんな婉曲的な芥川の師としてのアナトール先生の
世界の知性としての,役割は,またひいては目的性まで
あるとしたら,芸術創作,クリエイティブなクラフト主事で,
ただ,天津神,天上の神さまたちは,芸術性の守護神なのだ。


夜にデカフェの豆乳割を頂いて,思わず
染みたティラミスのスポンジ部分の記憶を。
あの,リキュールの匂いがするのだかわからない,
なにが染みているのかわからない,ティラミスの
スポンジ部分。思い出せば思い出すほど,杉の
樹の匂いを照らし出しては,いいや,杉の樹ではない,
そうそれは,針葉樹林地帯には,暖かさを見出せる?
問いかけては,
冬でも半袖を着ている,小学生。
清貧の思想に,半袖の機項,そんなの
あったっけ?それにしても,大人になると,
温泉の浸かり具合がカラスの行水から卒業して
妙にホッコリする。そうして,暖かい領域に入って
ゆく,珈琲の温かさを知った後に,
お風呂の暖かさも知るようになるとは。
詩の,領域には,中也とゆう詩聖が居た,それにも
まして,一茶とゆう,蕪村とゆう,鬼貫とゆう,長塚節とゆう,
村木道彦とゆう,野村一彦とゆう,『神を待ちのぞむ』,
詩聖が溢れてた。さぁ,杉の樹の香りを,そこに捜そう。
フランス,杉の香,冬でも半袖を着ている,小学生。
さぁ,杉の樹の香りを,そこに捜そう。

存在の呵責,

トッポギに海苔を巻いて頂いたような,
そんな軽快な味わいで小腹を満たす,
例えば存在の呵責に照らされて,法律を
学んだ弁護士のような,弁論に活かされて
筆を執った,論文を描くような心地で,
筆を執る。

トッポギに海苔を巻いて頂いたような,
そんなふっくらカリカリな食感で心を満たす,
例えば存在の呵責に照らされて,コリを
ほぐす按摩師のような,居ごこちの良さに
手足のばした,椅子に座りなおる心地で,
手足のばす。

トッポギに海苔を巻いて頂いたような,
そんなお腹加減の腹持ちの良さに頭をもたせる,
例えば存在の呵責に照らされて,マッサージ
しすぎた頭のほぐし方に,あまりに構いすぎて
赤みが付く,ユースキンを塗って,ほぐし方注意。
居直って,肩の力解く。

例えば,
トッポギに海苔を巻いて頂いたような,
そんな背筋を伸ばして座禅を組む,ほんとうは
あぐらをかいて,座布団を三枚,
存在の呵責は,メーターの貯まった時に,急に
意気込みの力不足に気合の抜ける,朝の掃除に
灯油を足して石油ストーブを着火する,そんな
あぐらを解いて,脚を伸ばす,このまま頭を座布団に
もたれかけ,とかとか,などなど考えながら,すぐに
向き直って,お風呂階下に沸かしに出かける,
風呂んなかで寝てしまおう,考えながら
あぐらかく,いつになったら寝るのであるのら。

偶然性の計算。

お金は,公共性だから,ともかくも
統計的に計算するウェブ・デザイン。
『偶然性の計算』はどうするの?と,
例えば,それを情緒的なものとすると,
情緒的な,偶然性の計算は,冷やした
トマトのサラダみたいに,また計算できる。
情緒の計算は,料理みたいなものだ。
調理する側面をもって,食材を切り取る。
そんな,自然に対しては,はたまた偶然の
解放系の存在のなかでは,瞑想よりも,
外の世界の中で自分を見つける方法が
のぞましい。


龍馬の世界を切り取り話すだけでも,
彼は,独我論的認識をしていたのでは,
そうしてデイダラボッチにさらわれたのだ。
なかば半開きになった眼を起こしては,
つらつらうつら,夕方には迎え珈琲などが
要るものだろうか,このまま夜に向合おう。
雨雫で,珈琲が沸かせたら,と想うのは
ドリップするときに,しずく状にして,
淹れるためで,またそうして,自然の姿も
夜に向かってデイダラボッチに化してゆく。
雨水珈琲,親知らず珈琲,眼横鼻直珈琲,
自然に向かい合う時,昼にシシ神を見かけたら
珈琲を供して,名を問合わせたい。独我論,
閉じ籠った自我を超えて,珈琲を淹れて
独我論珈琲ならぬ,自然の神さまに,天照の
ような天然神に珈琲を供したい。なんだ,
天照珈琲か,呟いて日が傾げる,なんだ,
珈琲大黒さん,か。


お金は,公共性だから,ともかくも
統計的に計算するウェブ・デザイン。
『偶然性の計算』はどうするの?と,
例えば,それを情緒的なものとすると,
情緒的な,偶然性の計算は,冷やした
トマトのサラダみたいに,また計算できる。
情緒の計算は,料理みたいなものだ。
調理する側面をもって,食材を切り取る。
そんな,自然に対しては,はたまた偶然の
解放系の存在のなかでは,瞑想よりも,
外の世界の中で自分を見つける方法が
のぞましい。

業の泉に湯あみする人は,
ともかくも自然に向合うことだ。
その一端が,雨水珈琲のメタファー。
滴百々,垂らしてゆくドリップの
自然の珈琲。そうして,偶然のなかで
計算する,忘我の告白をできるように,
忘我の告白を一瞬間でも。


業の泉演戯,

「龍馬はロンドンにいたのであろう」って,
そんな小説を読む。いかにも,漱石の書きそうな
物語だ,と,目が覚めて,彼の夢の作者は,また
”ロンドン塔”の続篇が書きたいのだろう,徒然,
額を切られたとゆう深い傷を思い,彼は天照。
一致すれば業の泉は涸れる,とはゆう,そうして
業の泉は涸れるとは言っても,業の泉は,・・
と,言う時点で,物語は始まりの終わりで。いい時代だったではない,いつも腸内は,
コンポストだ。深い傷を負った,ロンドン者は,
一致した業の泉と,仲良しで,それは,太宰が
芥川さんに対して,いつもどのような想いを,
切られた身を切られた者同士の愛情みたいな,
東照宮に,天台の香は芳しい,そう言わせた,
業の泉は,実はいつも涸れているから,その,
またその,軍鶏鍋なんて何の出汁で頂くんだ?
どんこあたりなのかな。
傷の癒える,そのあたりを,龍馬の傷とは。
天津と国津なんて,そんな大空に融けてしまう,
ロマンスは,フランスと,ジャーマニィ。
やっぱり,ゾンネンブルーネンとゆうのが,
360円で売られていたことを思って,ひまわり
の種に,ライ麦,酵母のみ。すごいなぁ。
ドイツパンってすごい,いつも腸内は,
コンポストだ。喜ぶロンドン者。大空に融けてしまう,おおぞらの味わい。
それが,天照の伝えたいことだ。天津,
つまりは,業の泉から離れた者。今でゆう
西欧の借宿。額の傷は,業の泉で癒すから,
西欧の借宿(かりずまい)とゆう,有機の
完全オーガニックなんかからは,ほんとうの
コンポストの産まれる。
すごいなぁ,田舎の確執から,地球の果てには
完全オーガニックのパーマカルチュァな,
コンポストの産まれる。何故,文明開化に,
田舎の軍鶏鍋なんて産まれたのだろう。その,
大空に融け合うのに,軍鶏鍋なんて呼んだの。
結局,国津神=業の泉=腸内フローラの,あの
日本の確執は継続して行く,
「龍馬はロンドンにいたのであろう」って,
そんな小説を読む。いかにも,漱石の書きそうな
物語だ,と,目が覚めて, いい時代だったではない,
いつも腸内は,
コンポストだ。深い傷を負った,ロンドン者は,
一致した業の泉と,仲良しで,

業の泉演戯。

クリエイション堅実な業の泉演戯。
業の泉で水浴する創作意欲の領域は,
密度によって,高気圧によって晴れる,
低気圧によって,密度によって,
人の性格の気圧によっても,部屋の
移動によっても。
また,環境によって,自然一体化する
私たちの想いは,本来イルミネイションの
結果次第を,環境は変えられない
とゆう,業の泉を枯れさせるためには,
泉を美しいものに換える,とゆう意識的な,
泉を美しいものに換える,そうゆうなにか,
クリエイション堅実な業の泉演戯。


芥川とゆう天照さんと,一体化する。
業の泉とゆう,創作の源と,一致する。
一致したところで,それは融解するのだけど
取り込みとゆう,ユングの影の論理と照合し
忘我の告白,神智学の門前,則天去私,
そんな中,業の泉は枯れてゆく。そんな
天照さんは,どうも業の泉のシシ神と同一。
業の泉自体は,大国さんの赤猪岩と一緒。
焼け岩で逝ってしまう古事記の話と,
そのクリエイションのための,創作秘話は,
甜菜糖落雁を頂いたあとの
清水井に浴びる,石清水に沈潜してゆく
その再生神話にむすばれてゆく。
一度,業に酔いによって,運ばれた夜。


楽楽福神社とゆうところに行った。
分社のはずが,僕にとっては,信実で,
雨降りの前,口をついて呟いた,
はらいたまえ,きよめたまえ,かみながら,
きこんさきわえたまえ,あめがぽつぽつ,
そよと風が吹いて,耳の穴が抜けたぽつ,
業の泉とはかくゆう,
クリエイション堅実な業の泉演戯。
泉を美しいものに換える,とゆう意識的な,
泉を美しいものに換える,そうゆうなにか,
業の泉で水浴する創作意欲の領域は,
密度によって,高気圧によって晴れる,
クリエイション堅実な業の泉演戯。


禅定おじさん。

源義経のチンギス・ハーン伝説は
有名な話だけれど,例えば義経の
蒙古において戦った部族なりの
居たとしたら,そうゆう戦闘記憶は
まさに獅子や麒麟のような姿で
残りはしないか,とはやはり,
戦闘記憶は本当に神獣のような
姿の文化的発想の転換をもって。
だから漱石のモンスター伝説を
なぞるのに,彼が荒神さんの姿の
だから太宰の情死を説話のように
なぞるのに,彼が大黒さんの姿の
だから芥川の狂気への犠牲を
なぞるのに,彼が神功さんの姿の
天照素戔嗚大国の神さまの姿を
発想するのに。そうゆういままで,
文豪の姿が,犠牲や戦いや問答の
記憶を思い起こしながら創造される
ものなれば。そうゆうこれから,
禅定おじさんと言って,神功さんの
世界は元来,大空のなかをゆくように,
振り返り進んで,行っては戻る。
そうゆう姿をしている。そうゆう姿の
ものなのだ。
源義経のチンギス・ハーン伝説は
有名な話だけれど。


何故,存在するのか。

人の役に立てていないなら,
居心地の悪い,支配欲は,
そうゆうものだから,また。
荒神の行方は,
モンスターの来方。
漱石の行方は,
オロチの来方。
則天去私の行方は,
大黒ロマンティシズムの来方。

人の役に立てていないなら,
居心地の悪い,支配欲は,
そうゆうものだから,また。
文化の来方は,
解体の行方。
草なぎの来方は,
宝玉の行方。
新巻鮭の来方は,
筋子の行方。

人の役に立てていないなら,
居心地の悪い,支配欲は,
そうゆうものだから,また。
荒神の行方は,文化の来方。
モンスターの来方は,解体の行方。
漱石の行方は,草なぎの来方。
オロチの来方は,宝玉の行方。
則天去私の行方は,新巻鮭の来方。
大黒ロマンティシズムの来方は,筋子の行方。

人の役に立てていないなら,
居心地の悪い,支配欲は,
そうゆうものだから,また。
悪の行方は,マンネリの来方。
物の怪は,解体する訳でもなく,
文化の香りは欲望の散華と換わり,
KARMA SPRING何故,存在するのか,
ただ,問うて,筆を置く。







天照の行方。

天照の行方は,
称徳天皇の来方。
空間のロマンチシズムは
町家のシェアリズムへ。
無論エゴイスムは
風穴パブリシティに。
天照の行方は,
芥川の来方。
漱石山人の荒神だとすると
天照の行方は
芥川の来方。
空間エゴイズムを,
町家パブリシティに換えて
漱石山人の荒神だとすると。


エゴイスムは風穴の開けば,
無論パブリシティになると思う。
大黒ロマンティシズムを,
天照シェアリズムへ。
人と人の争いむすぶサロメー。
バプテスマ首を目の前にして。
ラザロは,死人だったから大黒さんで,
元来禅定に生きていれば,
風穴パブリックな天照さんだ。
グローバリズムに,シャロームの,
普段から,大空に目を向けるならば
大黒さんは,荒神さんに次いで
風穴パブリックな天照さんだ。
芥川はだから,風穴パブリックな
天照さんだったから,その渡世は壮絶。
大空に融け合うの気持ち。


天照の行方は,
称徳天皇の来方。
空間のロマンチシズムは
町家のシェアリズムへ。
無論エゴイスムは
風穴パブリシティに。
天照の行方は,
芥川の来方。
漱石山人の荒神だとすると
天照の行方は
芥川の来方。
空間エゴイズムを,
町家パブリシティに換えて
漱石山人の荒神だとすると。



悲しみの芥川。

漱石と,モンスターの
ハーモニー。

一茶は季節感の賜物を
読んでは,返す荒神さん。

宗盛は,僕のヒーロー。
凡庸さは盾よりも武器。

実朝を描いた,太宰治の
あれは,嚆矢であった。

貴船の川床臨む,
鞍馬の,あれは
怪僧道鏡。

福市の安養寺,瓊子内親王の
墓には歯形栗。父の想いか,
漱石の思い出。

太閤秀吉,風呂には何時も
五右衛門。鬼貫常ならず読む。

小野姉子が居たら,それは
江戸をのみ干す,絶対知の
モンスターたわむる。

宇宙母船に悲しみの芥川。
宝玉のように,その姿は
ムーンストーン。

母船みたいな故郷の,
そこで女夫のように,連れ合い。