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概念嗜好のメンタルティ。

『月灼けに,踊りが意外とスサノオだった。稲荷ずし,
 頬張っては,女神とDance,それ以外にハーモニクスを
 大事にして欲しい,そうやって,地球は産れてきたのだから』
概念思考でモノを考える方が楽で,それはメンタルティとも言える。
ハイデガーの嗜好をさぐっては,夜更かしをして,聖バルトロマイの
彼の殉教にまで想いを馳せると,自分自身が月そのものになったかの,
憑きモノのような感じに浮かれてきて,ふと,朝のご飯だきなどに臨んで
我に還る。夜は蚊の這入ってくるから嫌なのだ。窓を明けずに意外と涼しい。
まだ5月だもの。やっぱり受容体としての人間性は健全にあるのだから。
我に還る,それはファンタジーの一瞬の効果。明るさは一瞬の効果で十全に
耀くのだから,いつも我に還る必要はまったくない,だからこそ,業の泉。
書物の渉猟には,私の前世はこれだ,と思えるほどの憑きモノに変化してみる,
あの没我的なひと時は必要なように,『我に還る』,この瞬間には,とどのつまって,
少し窓を明ける,その一呼吸の安らぎで十全なように。食事も相まって,そんな
それはファンタジーの一瞬の効果なのだ。

スパイラル構造を下に降りて行く必要が実は朝から昼にかけては有るのかも。もう,
夜更けにその上昇線にだんだん火がついて,身体は起きているのに眠っているような,
夜は未だにまだあけていないのだから,昼光灯の夜半もずっと燈いているそんな夜更け,
オリジナルに還られる『夜=私=外気涼風』の,そんな明るさには,まずもっての,昨晩
頂いたラーメンの味なんかを思い出しながら,スープ派か麺派なのか改めまして問たい。
もうずんずん,ずんずん降下して業の泉の最下層,一番の楽しみは芸術的領域のあの,
極彩色に拡がる熱帯夜の最中にある,ハイデガーが浮かんでくるのも,彼が最下層,つまり
我に還るより,『月灼けに,踊りが意外とスサノオだった。稲荷ずし,
 頬張っては,女神とDance,それ以外にハーモニクスを
 大事にして欲しい,そうやって,地球は産れてきたのだから』の,芸術的領域。
決して卑下憐憫の情とは乖離した,健全なGroundingしたモノとしての芸術的領域。
そのアイデンティティ=”本当の自分”は降下しきった,”最下層としての健全な自我の”
中に居る。これは,確かだ。もっと楽しまないと存在論は豊かに出来てこない。そう,
だから,業の泉に漬かって,半分は取っておいたら,もう残りの半分は食べてしまって。
当たり前のことなのだけれど,我に還りたいがためのファンタジー体験のために,その
一瞬でいいはずの尺の長さに『永遠』を拘泥し続け,それを”最上層”とみる向きは所詮,
あの朝のご飯だきに一瞬我に還る拘泥し続けた恥ずかしさの結末末路の向き,恥ずかしさの
狂人めいた日本酒を加えて炊いてしまう向きには敵わない。だから,僕は,ずっとその
”最上層”とゆう潔癖な美しさを体験したくて,人参の尾をつかんだりして嘆き叫んだ後
ようやく明るさを体験できる業の泉主幹であるので,結局は下に降りて行くのも,浮力の
潔癖症はなければ適わない。

訳のわからないので,もうすぐ炊けそうな朝ご飯を目前に,階下に降りてみる。
(乱文,失礼いたしました。)

こちらは如何?

存在するってのは様式美よりも,門戸のない野原。

自我の領域より飛翔したいとゆうのは,ちと違う。青空は二層にも 分れて,上は真空,地上は温暖に溢れているのだから,もっとあったかく 野性の酵素に満たされているくらいの力強いパワフルな悟性を,もっと。 訓戒は破るためにある,それは依存だったとの由。カビは,潔癖が産むとは 功利に走る感性の,腫れ物に換わってゆく様を想えば,まさに,土着の農業に ミラクルな意地の強さを頂いて,キレイな大理石にはわかるまい,あの祟りの ように,タケミカヅチにはもう解放の予兆。萩原朔太郎の詩性には,孤独の。 上杉謙信には辛口の酒。平敦盛の首塚には,近藤勇の肖像をポケットに歩いた。 猫町横丁を逍遥しながら,妻帯せずもののふの塩辛よ,供養する美青年への悔恨を 結局の優勢,無勢に関わらず,人を助くる所に助られる者なり。と,もう予兆は, 確かに,土着の酵素に適えられて,やはり,ネギの収穫を手伝ってきて良かった。 そこで,得も言われぬパワーを頂いたことは,潔癖症より打ち克つ何よりもの,あの 祟り神とは,本当に(神話は誰にでも当て嵌るように出来ているのだから)リアルの 神がいるとしたら,いいや,リアリティとゆう意味の唯一無二の,現実性のあるなら, それは,祟りの比喩にこそ存在している。嫌ってはいけない,正直であるのに対し。 少しの笑顔で,不思議だなあ,と。理解できない野性的趣味にも,世界の歴史上,まず 野性のあってこそ,存在するのは”白亜”の様態なのだ。この野獣のかんばせをこそ。
ミケランジェロや,漱石山人などが,彫刻を制作する折りには,あるいは大英博物館など 訪れたのちには,親くのお宿などで,石膏の石板などをテイスティングならぬ,毒見した のでは,とゆう白昼夢をみる。創造知性の探索,または西洋文化なる知見を目的として, その無味なフレイバーはきっと夢のなかでも秘密を,ある世界の歴史においての,秘密を あらわしているように感じる。僕には体感的に,それが潔癖症を治す,唯一ほどの手段に 感じるのだ,イマジネーションの上では,そういった,酵素質の話しは差し置いても,の 白磁,青磁の陶器にも至る道程には,なぜかしら”白亜”の生誕の上で,土の鍛錬に結ぶ, そういった工程を,この町で通り過ぎる石膏彫刻の姿に,”デッサン・アート教室”の看板 には,『素晴らしい文化だなあ』町の中で,何か日に照らされて暖かい硬質な花の匂…

ゆきずりの恋を活きる共同体形成の宵明け珈琲。

自己責任の発想は,やっぱりちょっと違う。海外のひとからは ナンセンスと言われる,例えばコモン・センスには,合わないのかも 知れない『日本の”常識”=その噂話=逸脱した集合無意識など』は, 確実に,共同体形成や,防災意識,暮らしの成立,自由の体現などに 必須事項であるはず。ちょうど,ゆきずりの恋に,宵明けの珈琲を啜る みたいに。極端な疲れには,珈琲を呑んで寝る,この発想が,なかなか 疲労自体の裏にある,自己解除作用に結び付いて,ダイエットする精神。 腸活や,リンパケア,遺伝子のONなども,こういった作用に関連して, きっと痩せることが必要ではないかも知れないけれど,精神は痩せていた ほうがずっと良い。なんて,最近は,そうゆう精神肥大について,半ばの ダイエットを始められそうな次第である。大抵は,パートナーが寝ているとき 僕自身の目覚めてアートを楽しんでいる。僕が大いびきをかいて眠るときに 彼女は,その録音をコラージュなどして,ダンス・ミュージックなどに仕立て 起こしながら,朦朧の意識に意地悪など仕掛けてくる。今日は僕が起きてる番。 塩釜をコトコト煮詰めながら,灯油代も,その理由で気にならずに暖を取られる 心地は,冬景色の良い効果だ。半額で,豚ひれ肉のブロックが売り出してあって 醤油みりんで漬け込んでいたのを,じわじわ焼いていたら,簡単なチャーシューが 出来上がった。タイミングよく,父が”キタアカリができた”と届けてくれたので, お礼にすぐにタッパーに入れて,持ち帰ってもらう。実際は,なぜだか自然体で そんな一連の火の調理づきあいのできてるので,こんな精神のダイエット構想には もってこいの火の調理週間であるはず,水回りはキレイにして,しっかりと使おう。
ちょうど,フグの湯引き調理のあとに,床底に暖気のたまるみたいに,業の観念は どうしても内にも外にもただよっているものである。こんな,感情を知的に合わせる もみじおろしみたいに,はっきりと業を認識することは大事である。認識できず,あの ポイズンに当ってしまうこともあるだろう,瀕死の業中毒はよくあることなので,ただ 業が過ぎ去るのを待てば良い。ここで,自己責任にNO,を言うのは,業の付き合い方は ちょうどの,ゆきずりの恋愛ドラマをみるような,そんなあえての”自由の発想”で良い。 中毒になっているときは結構大変なモノ。精神…