スキップしてメイン コンテンツに移動

熱する=時間扇。

熱するとゆうのは,果物が完熟に向かう,ボイルする
沸騰する湯沸かしに,時間は十倍速に進む。そうして,
アンチエイジングとは,抗酸化とゆうの解る気のする。
だから,夏は,時間の進むのが全時間的に環境的に,
ずっと早く廻っているのだ。何故?なぜ全時間的に,
環境は時計の針を早く進める,必然の速度増す。この,
夏の時間の速さに,もうどうしても驚愕を隠せない。その
時間全体の,地球全体の酸化=老化している。この感慨,

もう早くも,朝ごはんに白菜の漬物と白米。昼ごはんに,
茄子の塩漬けと白米ごはん。繰り返しては,あいだに夢想の
アイス・オーレを氷カラ・カラ。たまには動物性蛋白も。
なんて感じながら,オーレに優柔不断のミルクを加えて。
せっせ,せっせ。どうしても,働きたい余裕のある時に。

その余裕のある感情は,あと一息。自分のクリーニングの
佳境なのだ。佳境。良い言葉は,時間の速度を早めるから,
もうすぐ,15時のおやつの時には変わらずアイス・オーレと
氷カラ・カラ。鳴らしている自分を想っては,筆を速める。
スラスラ・スーラ。点描画は,スラスラ・スーラ。なんて,

この夏の時間速度に焦点を当てて。果ては,自らの胃腸は,
腸活の極致にあって,7年に一度の細胞入れ替えはこの速度の
中で、始まる。終わる,空調の管理は必須で,その下でも,
容易に氷は解ける,溶ける。熔けてゆく氷の見て実感。
やっぱり,氷みずならぬ,冷泉浴のうちに停まって,体も

熔けてゆく。暑さはごちそう。時間の進みはごちそう。そんな
この夏の時間速度に焦点を当てて。スラスラ・スーラ。点描画は,
スラスラ・スーラ。『地球会議』なるものに出掛けて,すぐに,
門前払いされるのは時間の進みは早いけれど,創作には遅い,

体の熔けない,アイス・オーレを氷カラ・カラ。繰り返しては,
あいだに夢想の,繰り返してる自分のクリーニングの佳境。この
僕自身は身体を冷やして,冷泉浴でも,この夏の過ごし方でも
酸化や,熱する=時間扇にあらがって,まだ果実は堅いのですよ,

そうして,抗酸化を謳っては,
”ボイルする世の中を”
逆廻り時間扇の,左回し珈琲を淹れて,あらがっているのですよ。
茜色の空には
もうすぐ,もうすこしのひとさじお砂糖を許して差し上げます。

こちらは如何?

KARMA SPRINGとゆう、LONDON ONEの書類群。

腸がつまる、など。必然的な兆候を含む、現代のシンドロームには業の湯浴み、として。沢山の娯楽をエンターテイメントのように軽く、 楽しめるかとゆう、趣味の時間を1分2分。どうしようか? ほんとうに湯舟に浸かれる瞬間は、ご褒美だけれど、郵便物を 受け取るための深夜窓口も、寒くって伺う気にはならない。
疲れている?いいや、眠たいのはいちばんのご褒美で、またあの 思考を放棄する瞬間にこそ、曖昧で朦朧とした意識の、それは、 諦念する、問題も、なにもかもなくしてしまわれるのだから、 業の問題を考えるにしても、その問題をこそ、考える理由にこそ、 思考をなくしてしまえる瞬間に、解決されるとゆう、自己回帰。
スムーズに、ヨーグルトのプレーンを朝食に、必然的にも トーストの欲しくなるのは不可思議以上の不思議な事で、 思考し過ぎる事かあ、趣味と言えば趣味らしいモノだろうけれど 逆に、その時期を通りすぎれば、遺産として、KARMA SPRINGとゆう あの書類群の、ギフトだったのだな、ギフトだったのだ。 LONDON ONEとゆう、思考の山人による、最高の贈り物。
篤姫や、真田丸のあとには、足利学校のテーマなどみられる のでは、など、そんな、太陽悪魔や、オロチ伝説の、赤猪岩受難の、 岩戸伝説や、岩窟の聖母像と重ねて、ヒトの受難は、獣神化する道程を 経て、進む。確実な過程として、行程は、目的地の、アマテラスへ。 太陽の夜明けに繋がるのは、そんな、獣神の角と眼の筋の取られて ヒトよりも人らしい、そのグラウンドダウンしてゆく人間性の、 これは、地味に滋味栄養のある、豊富な、例えば、あの古い語の 富国強兵論なども、こうした、筋肉質な糖質制限や、あるいはまた 腸の詰まりは、富国強兵に、カルマ・クリーニングを一跳びして パクチーのコンソメスープなどを啜る朝に、やはりあの、 トーストを欲しくなる、都市街の朝食風景は、ループする。あんな ループする朝食を求めて、世界は廻り続けているとしたら、 このグラウンディング指向も、また、おんなじ様に、新年のお雑煮を、 頂けそうな、そんな年末のグツグツ、カマドは周るのである。

右側のチカラを抜いて、左肩をいきり上げる。

スーパーに出掛けるまでにも、右肩で考えて、そのトータルに見届ける事を優先していた。けれども、その優先度は右肩上がりには 決してならないものだった。トータルに全体主観によってみえる その眺望は限りなくミクロで、情報分析には役立つが、 現状認識には、あまり用をなさないのだ。 現実を見詰めるとは、想像によるものでなし、それは、 未来を無くし、その視点より時間を無くし、左肩上がりで、 あえて時間軸より、あるいはイマジネーションより、もっと 空間的に、リアリティは、期待も時間もない、悪びれたモノ。 スケジュールに関して、悪態をつくくらいの丁度いいのだ。 それは、左胸で考えること、そうして、論理的なリアリティは、 とっても毒づいて、リアリティに頑強に厳密な、 NO TIMEの様。
左胸で考える、それは腹で考える。すぐにはできなくとも、 とりあえず、両脚を伸ばして、アキレス腱を延ばす所より。 あぐらをかいて、息を吐いて、リズムを刻んで、背筋をのばす。 水出し風烏龍珈琲を呑みながら、右側のこめかみにかつては チカラを入れて考えていた、トータルな全体主観を、あえて クリスマスへの供え物にして捧げ、僕はいまもう、この 土の上に落ちた南天の実のように感じながら、土の酵素を身に 付けて、プーアール黒茶を啜るように、あんな感じで、むしろ サンタクロースのように1年の1度せかせか届けものに、 あくせくそれは、黒茶を発酵させる酵素は、毒づいて僕の 論理性リアリティとよく似ている。これは、烏龍珈琲のミラクルでも、 毒は薬にもなる、ホメオパシックな奇跡的酵素生成にも似て、 本当に、実際に効果的なモノとは、毒素を酵素に変質させる何か。