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浪漫情景チック。

ブーブーブーブー,エンジン音の鳴り響いて,もう。
眼を醒ますと,あれは,あれ,扇風ファンの音だったかの,
不可思議な余韻。なんだか,エンパス指向と言って,あの,
未来予測や,出逢う予感めいた,何らかのクリーニング作用を,
不可思議な余韻。そうゆうイヴェントの終わった後。ふ~っと
ファンの音で目覚める,不可思議な余韻。聖母マリアの転生譚を,
ブッダ=プラトン=マリア=セネカ=アウグスティヌス,
ジャンヌ・ダルク=アッシジのフランチェスコ=エリザベス一世,
ブレーズ・パスカル=ヘルマン・ヘッセの裡にながめている。
そんな,書店を巡って,三島文学の憤怒の情より,ヘミングウェイ,
それからヘッセの聖母像のほうまで伺っている,この浪漫情景チック。

確かに,一度の人生を繰り返す,同じものはなく一度のその人生は,
地獄だ。だから,転生譚などありえない。なんでこの浪漫情景チック。
恋愛像と親い,エンパス指向は恋愛に非常に親密で,聖母の妖婦性とは
いかがわしいとは言われつつも,人間性とヒステリクスを結ぶ何らかの
マジック=魔術性でもあるので,エンパス指向=恋愛の何らかの繋がりも。
融和性を慣性の丸球の転がってゆく,摩擦のゼロ地点まで行ってしまう。
感謝と恋愛の似ていると言ってもいい,この融和性だけれども,結ぶ何らかの
ヒステリクスより人間性に訪れてゆくヒューマニズムの黎明は,基本的なその
エンパス指向の融和性を,ヒューマニズムの視点から,分析解除してゆくのだ。
聖母の妖婦性とは,そこから産まれた発想であって,必死にヒステリクスを
人間性に結んでゆく,祈りの外の何でもないのだ。

ヘッセの転換期にみられる,魔術性,そんなものが吹聴されているのだから,
その発想を何処からイメージしているか,妖婦性,いいや,これは祈りだ。
ヒステリクスの源流まで溯ってみようと枯れた泉を掘削してみる。そうだ?
この,泉の発端は,ヒステリクスを産みだす,あの朝食の始まりの,叫び。
叫び,なのだ?昼間のスタートはヒステリクスの開始点。ベータ・ヒーリング。
この,日常,普遍,公共性。この冷静さは至って普段のヒステリクスの源流で。
眠りの追及に目覚めて,あの夜に黎明を感じる,夜明け前のいちばんの暗さを,
これが,真実,じつにリアルなヒューマニズムの発端であるような,そんな気が,
昼の冥さに,夜のほの明るさを計って,さあ,源流は泉の涌く所で,美しい所?
気分的に,ヒステリクスに求められる美しさは,夜のシータ・ボリューミングには
関連のしない波長を抱いているのだから,朝食に考える美しさの始まりは,その裡,
ディナーに求められるお腹で味わうシータ波に換るのだから,このあいだに,例え,
マタイの福音書に,眼でしたものは,身体でも襲ったことになるように描かれる,
あの文言のセクシャルな対象を,まず,祈りで返るヒステリーから,眠りに深く。
ヒステリクスと人間性を結ぶ,ヒューマニズムな黎明を伺う動向に気づけばその
男性性は,動態よりの静的シータ波への冥想的な時代の要求にうながされればまた
そんな対照的な感慨にひたる無私の思想に感じられるのはああ,感受性の強さは
俗に言われて結局はLONDON ONE,この造語に謳われて干物のグルメに舌鼓する
あんな,胃腸で鑑みる,もう妄想は瞑想で想像である,こんなあんな,そんな話題は,
もう終極必要のない。まっ直ぐな視線は,直線的に,極彩色に向かう。ビビットな,あの
濃緑と深紅に対比する熱帯夜の”祈りは,夜明け前に忘我する。”





こちらは如何?

てんさい糖の蜜を頂く,手挽き・ドリップ・豆乳のあとに

懐手に,差し込んでみたいとは思いつつ,及ぶことなしに
それでもついて行きたいと感じる,そんな精神体のあることで,
本当は,打ち上げ花火を揚げたいので,そんな想いを感じているのか?
精神体を追いかけて,廃墟をくぐり抜けて,そんなサナカに,ふっと
打ち上げ花火を連想して,なんだ,お祭りがしたいだけだったのか。
我に返って,こんなことを思うのだ。風邪を引いているので,手挽きの
珈琲豆は扱えなかった。このきついのを毎晩のんでいたための,アレルギー
だったのか,と疑いもしつつ,それは生産者的な想いでの意味ではなく,
掃除を,ただして終わった後の脱力自味た心理を,そうそう庇いもせず,
ろくに珈琲も呑ませなかった,自分への八つ当たりを,今もしている。
そうやって,凝りなども溜まっていくのだろう。
自分のなかには,お祭り好きの,欲求のあふれていることに気づいた瞬間に,
何事も自分のうちからは無くなってしまった。
無くなった,いいや,空っぽに,現つ筒抜け,解りがたい難問をクリアした後で,
風邪を引き,いつになったら,珈琲を頂けるのやら?体調と,質問を繰り返しては,
こうやって,てんさい糖の蜜を頂く,手挽き・ドリップ・豆乳のあとに
などのことなど,思い浮かべ夢みるのである。

恋心,などのことを,描いているうち,それは心の奥で,やっぱり業の在処である,
そうやって,太田治子氏の『明るい方へ』なども,もういちど紐解いてみよう。彼は,
太宰は,とは言って,歴史上”太宰”と呼ばれる,津島さんは,その,作家名の独り歩きする
現代を,どう見ているのだろうか?

虚構だな,そして上滑りしていく夢のうえにも砂上の楼閣のようだ。
だから,恋心は,それはあなた,罪悪感の名残ですよ,と言われた時には
そうゆうことも,そうゆうヴァージョンの恋心もあるだろう,
とは思いつつ,それもそう。

お祭り好きの感性を発見してよりのちの人間性は,罪悪感で惚れるとゆうことの意味が,
まるで解らなくなって。

ブンガクに惚れるのでしょう,詩情に魅惑されるのでしょう。
この方が,魅惑される分のポエジーや,どんどん惚れてゆく芸術的な文言に対して,
少々のヤッカミや,眩惑を感じたにせよ,やはり転じてそれは,魅力に映るのだから。

アイスクリームを二個も食べてニコニコしてしまう風邪ひき習慣。
習慣にしてはみっともなく,けれどももう永続性まで感じてきてし…

混沌的・根本的に。ロマネスクより転向。

ロマンスから,純粋な混沌だ。悪態・媚態的にそうゆう気分に,
なることもある。ロマネスクは芥川の知性によっては与えられ
理性の旗手たる永遠の漱石山人には,鉄の思考を教わるのだが,
しかしながら。混沌的・根本的に。ロマネスクより転向。なので,
ロマンスから,純粋な混沌だ。悪態・媚態的にそうゆう気分に,
なることもある。と言ったぐあい,よくあることなのだろうけど。
太宰のような『ロマンスより混沌に』生きる。このぐあい,では,
坂道をくだって,また違う急坂をものともせず上がればよい。この,
そんな感じで,太宰先生について行きますよ。

運筆,とゆう言葉をよく聴くのだけれど,それは先生の著作を読んで
一層のことよく感じることなのですけれども,果たして,筆を運ぶ,
先生は,いたってガムシャラに書いていたそう,だと,モノの本では
伝え聞いたので,太宰先生の,この運筆傾向については,一票・賛成。
ガムシャラに書くその感じ,気だるさを与えながら,筆は速いことを
理想におもってらしったのか,他の文学者のモノを読んでも,思わない
この,筆の速さ,完成までのとゆうより理想的速度の,いたってこの感じ,
よくでている気のする。例えば,資本主義制なるものが,いかに反感を
喰らうようになっても実に,速度優先で動く感じ,この感じは,利便性を
確保するために(実際問題,利便性の必要性はどこまで?)いつまでも,
すすんでいかなくてはならない,この感じ。僕自身は,安定のロマネスク,
芥川氏の薫陶より安定したその工芸の世界より脱け出す気は,さらさら,と
なかったようなので,それが,興味本位に外の世界へ出たくって,知性より
いっぽ外の速度型の優先順位をみるにつけて,なんと,

混沌的・根本的に。ロマネスクより転向。なので,
ロマンスから,純粋な混沌だ。悪態・媚態的にそうゆう気分に,
なることもある。と言ったぐあい,よくあることなのだろうけど。
太宰のような『ロマンスより混沌に』生きる。このぐあい,では,
坂道をくだって,また違う急坂をものともせず上がればよい。この,
そんな感じで,太宰先生について行きますよ。

こんなぐあいに,速度型の,カオスのように,ものおじしないその感じ。
いっぽうに地平線あれば他方には水平線のひろがる彼方,はてはさては
僕は,地平線の方へ,なぜかしら,知性のある側面のカオスをまた感じて
飛び込んでゆきたい…

栗の実に文章構成はありますか?と,問われ着る夕べにはチャンチャンコの

風邪を引いて,熱や頭痛を超えて,喉の腫れに到った時,それの
発破してしまわないように気を付けながら,ある意味,この正解。
イオン式加湿器を持って来て,寝室に置いて,まわしてみると,これ
呼吸も気にならずに出来るし,あまりにすがすがしく心地よかったので
眠れたはずのタイミングも目を開いて,黙想してしまったのだった。
風邪を引くと,迷惑をかけるモノだなあ。とか,身体が重たくなるのは
これは本当に,動けなくて辛いものだ。など,普段から怠け者で重病みたく
ロマンを追ってばかりいる事のそれとは比較にならない,やっぱり風邪って
痛いほど辛さの身に滲みるものだ。なので,加湿器を持ってきた途端に,
すっかり心地よくなって,いろいろと考えていた。今となっては,耳鳴りの
諸症状なのかもしれず,解らないなりにだけれど,小学生の後半あたりから
妙にヒステリックに右の側頭部に違和感を感じ,癇癪も酷くなってきた想い
のあって,暴力性の否定とか,スピリチュアルに哲学してゆく格好良く言えば
そうゆう思春期を過ごしてきて,暴力の否定。とゆうものに,焦点を向けてきた。

狐にはわるいのだけれど,狐憑きのようなモノ?とは,言っても自分の側頭部,
そうそう客観的にもなれなかった。そうして,昨晩は,そんな想いは,たぶん,
この辺りは,遺跡地帯,弥生のイザナミ文化に対して,ぼくは縄文ヒーリング。
男性性でゆきたいためか,縄文的にゆこう,そう決意した時だった。するする,と
耳の穴の開いて,何か出たと思ったら,それは,分泌液か何かだと推測するけれども
そんな縄文ヒーリング露知らず,ロマンも逃げて,一気に先ほどの事なのだけれど,
耳鳴りの諸症状とあとで枠づけては,そうゆうヒステリーは一応の解除を申し渡された
ところなのだった。

そうして,栗の実に文章構成はありますか?いまにもチャンチャンコを着ておもてに
でそうな感じのするこのフレーズに。今となっては,文章構成なんて,まっぴらゴメン!
ロマンも,『錠門=縄文の鍵を開く唯一の,堀辰雄ロマネスク』などと謳っていた,あの
イザナミもヒステリクスも飛び去ってしまって,お見舞いのチョコ・ミントアイスを頂き
ながら,あんまり甘いものを食べすぎたけど,あとで返ってきそうなこの糖分には,でも,
そんなアイスクリームの美味しい風邪ひき珍道中だった。今更ながら,心地よく耳も抜け
眠らず…